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発倖美人とは…
いつもポジティブ&エネルギッシュで、夢に向かってやりたいことをどんどん実現し、自らのキラキラオーラで周囲の人に倖せを発することができる人のこと。
本ブログではマクロビオティック料理教室G-veggie(ジィ・ベジィ)@東京・蒲田のインストラクターはりまや佳子が天井知らずの倖せを手に入れ、キラキラ発倖美人になることを目指し、自分らしく明るく楽しく暮らしていくためのとっておきのコツをご紹介します。
家族仲の良い暖かい家庭で育った私にとって、
ダンナ様の家族の私たちに対する仕打ちは理解不能。
強欲なお兄様の陰謀とその口車に乗ったお義母様の攻撃で、
2店舗経営していたうちの1店舗を取り上げた上に、
残された1店舗も人様にお貸ししたほうが収益になるという理由で、
一刻も早く辞めてほしかったのでしょう、
私たちに高い家賃を請求してきました。
運の悪い時には悪いことが重なるもので、
その前年の夏は猛暑だったのでうどん屋さんは大繁盛していたのですが、
1993年は異常な冷夏と雨が降る日が多かったため、
お客様が前年に比べてとても少なくなってしまいピンチ到来!!
うどん屋さんという商売は冬場の寒さが厳しいほど、
温かいうどんを求めてお客様がその寒さを増すごとに増え、
夏は暑ければ暑いほど人は食欲が落ちてしまうので、
ツルッといただける冷たいうどんを求めるお客様が増えるのが常。
冷房がいらないほど寒い夏な上に、まるで梅雨のように連日雨が降り、
そのうえダンナ様は私がこれまで仕切っていた職場で、
まるで新入社員のように働かなければいけなくなり、
モチベーションは下がる一方。
加えてお父様という強力な後ろ盾を失った悲しみと、
お兄様やお義母様からの総攻撃を受けて、
心はズタズタでボロボロな状態だったようなのです。
そんなダンナ様のことをやさしく慮って内助の功を発揮する、
というような愛情溢れる謙虚な気持ちを持つことができたら、
不幸なことは起こらなかったのかもしれませんが、
残念ながら29歳の私にはそんなやさしい心は一切なく、
次第に仕事をさぼりがちになってきたダンナ様を、
「根性のない、情けない男」
と見下すようになってきました。
そういう気持ちは口にこそ出しませんでしたが、
心の中にあることは表情や態度にもでていたのでしょう。
次第に従業員たちもダンナ様に対して不信感をもつようになりました。
「佳子さんは一生懸命働いているのに、
なんで社長(ダンナ様)はサボってばかりいるんだ!!」
そんな不満の声が聞こえるようになってくると、
ますますダンナ様はお店の中に居場所がなくなり、
もっともらしい理由をつけてお店を抜けるよう。
そしてそれは8月末のこと…
支払いが少しでも滞ると「家賃を払えないなら辞めてしまえ」
とお兄様に嫌味を言われるのがわかっていたので、
そこまではなんとか家賃だけは支払い続けてきたのですが、
冷夏で売り上げが前年よりもかなり少なかったうえに、
お盆休みで3日ほど営業日が少なかったため、
月末に家賃を支払うことが難しくなってしまいました。
私は話して支払いを待ってもらおうと言ったのですが、
男のプライドのあるダンナ様はそれだけなしたくなかったようで、
なんとかお金を工面しようとしていたのですが、
なかなかうまくいかなかったよう。
私も嫁ぐ前にはそれなりの貯金があったのですが、
家を借り、短期間で2度も引越しをし、
そして店の支払をするためにそのお金を当ててしまっていたので、
残高0の状態になっていました。
そんなときこそ店の売り上げを伸ばす戦略をたてて、
従業員と一丸となって店を盛り上げていこう!!というのが、
私が船井総研で学んだプラス発想な商売の極意でしたが、
残念ながら心が疲れ切っていしまっていたダンナ様は、
まったく違う方法でこの急場を乗り切ろうとしたのです。
その方法とは、賭け事。
もともと麻雀が大好きでかなり上手だったダンナ様は、
お店の売り上げの足らない分を賭け事で穴埋めしようと考え、
夜な夜な近所の雀荘にでかけるようになりました。
そんな時に儲かるほど賭け事とは甘い物ではなく、
大負けしてしまったために大金を支払う羽目に。
そしてある日のこと、売り上げの入ったお店の金庫から、
お金をもっていこうとするダンナ様を発見!!
「家賃を払うことができないほどお金に困っているのに、
ギャンブルで負けたお金を支払う余裕がどこにあるの?」
と問い詰めてみたところで負けたことは事実で、
その支払いをきちんとしなければいけないのも事実。
このときに私は辛い時ほど前向きに努力し続けるという、
私の人生に対する態度とダンナ様の差をはっきりと認識し、
愕然としたのを今でもよく覚えています。
お兄様やお義母様にどんな仕打ちをされようと、
ダンナ様と一緒に心を合わせて立ち向かっていけるなら、
どんな苦労もいとわないと心に決めて一生懸命働いてきたのですが、
どうやらそれは私ひとりの思い込みだったよう。
そのことに気付いた私に追い打ちをかけるような出来事が…
この続きはまた。
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それでは今日もお日様のように明るく笑って、
お月様のように穏やかな気持ちで楽しい一日をお過ごしくださいね。
マクロビオティック料理教室G−veggie はりまや佳子
〒144-0031 東京都大田区東蒲田2-5-11
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莫大な相続税を支払わなければならなくなった私の嫁ぎ先。
そこではまるで一昔前のゴールデンタイムのTVドラマの世界のような、
骨肉の相続争いがはじまりました。
誰からも愛されない悪役を演じたのはダンナ様のお兄様。
とにかくお父様が残されたものを全部独り占めしたいという、
ものすごく強欲なエネルギーが私たち夫婦に対して、
これでもか、これでもか!!
というほどの試練を与えてきました。
その長男に丸め込まれてしまったのが、ダンナ様のお母様。
亡くなったお父様似の口下手な私のダンナ様とはまったく違って、
弁が立ち、その上ご自分にそっくりな強欲な長男の口車にのせられ、
チクチクと私たち夫婦に嫌味を言うように。
それまで私たち夫婦はダンナ様のご両親の家の近くに家を借り、
二人でのんびりと暮らしていましたが、
お父様が亡くなってから数か月たった頃に、
「ひとりは寂しし、家賃がもったいないから一緒に住んでほしい」
というお義母様の強い要望があったため、
とても気に入っていた家をあきらめて、
ダンナ様の実家の2階に引っ越し同居することに。
別々に住んでいたときにはほとんど顔を合わせることがなかったので、
結婚前こそ「離婚歴のある嫁」として反対はされていましたが、
うどん屋を一人で切り盛りするようになってからは、
ご近所の方々から「良く働くお嫁さん」という評判をいただけたおかげで、
お義母様の気持ちも軟化し、時には連れだってカラオケに行くほど、
仲のよい関係になっていましたので、同居してほしいと言われた時も、
「なんとかなるか!」くらいの軽い気持ちで了解したのが、
この決断が大きな間違いだったとのちに気がついても後の祭り。
忙しく働く私たちとは違って、まったく働いていない長男とお義母様は、
昼間に二人でゆっくり話す時間がたっぷりあったので、
だんだんお兄様の考えに洗脳され、心が傾いていかれたようで、
同居を始めた頃は「二人とも良く働くね」
とよくお褒の言葉をかけてくれていたのが、いつしか、
「そんなに働いてもたいして儲からないなら、
長男の言う通り辞めてしまえば賃料でラクに暮らせるわよ」
と言うようになってきました。
長男の言い分はやがてお母様の意見となり春になる頃には、
「このままでは家が倒れてしまうので2店舗のうち1店舗は手放せ」
と二人揃って私たち夫婦に要求してきたのです。
店を手放すという選択に迫られ腹の立った私たちは、
しばらくは何を言われても無視し続けていたのですが、
同居をしているお義母様に顔を見るたびに言われるのに嫌気がさし、
売り上げの安定していたうどん屋を残し、
ダイニング・バーをクローズすることにしました。
お店は従業員だった方がそのまま引きついてくださることになったので、
店名も内装もそのままで、経営者だけが変わるという形で存続でき、
お客様には迷惑をかけずに済んだのが唯一の救い。
これまではダンナ様は夜営業のダイニング・バーで働き、
私は昼営業のうどん屋で働くというすれ違いの生活だったのですが、
これを機に二人揃ってうどん屋さんで一緒に働くことになり、
これからはずっと一緒に時間が過ごせる!!
と喜んでいたのも、つかの間。
お客様も従業員も私中心に回っていたうどん屋さんに、
新入社員のように働き始めたダンナ様に居心地のよい場所はなく、
だんだん元気がなくなってきていたことに、
忙しい私は気が付くことができなかったのです。
うどん屋の仕事は朝が早く、しかも重労働でしたので、
私の体はかなりひどいダメージを受けていたようで、
この頃から強烈な下半身の冷えと肩こりに悩まされるようになりました。
体調がどんどん悪くなっていた私はお店を切り盛りするので精一杯で、
心が疲れてしまっていたダンナ様のことを慮って優しくする、
なんて余裕はまったくといっていいほど微塵もなく、
唯一の救いだった二人の関係もいつしか悪化の一路をたどり…
人間というのは体調が悪いときには、
周囲のことに気配りする余裕がなくなってしまうものですよね。
飲食店は水を流して床を掃除するため床が土間になっている店が多く、
立っているだけでどんどん床から冷気が上がってきます。
連日そんな環境で仕事をしていた私は腎臓が弱ってしまったようで、
生理痛もかなりひどくなってきました。
東洋医学では腎臓・膀胱・生殖器は同じグループの臓器とされ、
冷えることにより弱ってしまう臓器と言われています。
そしてこの臓器が弱ってしまった人の心は「恐怖・不安」といった、
後ろ向きでネガティブな感情に支配されるようになります。
私は仲の良い両親に何不自由なく育てられたおかげで、
かなり能天気な性格だったのですが、
うどん屋稼業ですっかり腎臓を傷めてしまったこの頃の私は、
嫌になってしまうくらいのマイナス思考。
元気がないダンナ様を「男のくせにだらしがない!」と決めつけ、
財産のすべてを自分の物にしたいと願う長男を「史上最強の強欲男」と呪い、
それに加担するお義母さまを「愛情のない最低の姑」と忌み嫌っていました。
そんな超がつくほどネガティブな私に幸せが訪れるはずものなく、
再び破局に向かって一歩一歩着実に歩み始めていたのでした。
この続きはまた…
最後まで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
それでは今日もお日様のように明るく笑って、
お月様のように穏やかな気持ちで楽しい一日をお過ごしくださいね。
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ある日突然にお亡くなりになったダンナ様のお父様は、
吉祥寺駅付近に土地やビルを所有していた地主さんでした。
特に大きな病気を患うこともなく、まだまだお元気でしたので、
まさか急に逝かれてしまうとは誰も夢にも思っていなかったので、
葬儀を済ませてから大きな問題が勃発!
その問題とは… 相続税
日本の法律では相続の権利の半分は配偶者であるお母様に、
そして残りの半分を均等に子供たちで分けると定められていますが、
たくさんの不動産を所有していたお父様の資産を相続するためには、
莫大な相続税を支払わなければいけなかったのです。
お父様は不動産を所有していましたが、
相続税を支払えるほどの現金はなかったため、
資産を相続するためには不動産を手放さなければならなかったよう。
この事実に一番上のお兄様が大激怒!
「うちに現金がないのは、おまえたちが2店舗も店をやって、
オヤジの現金を使ったからだ!!」
と非難の矛先が私たち夫婦にむかってきました。
その発言を皮切りに私たち夫婦の悲劇は幕を開けたといっても、
過言ではないでしょう。
お兄様の理論は…
「うちは働かなくても人様に不動産を貸していれば、
家族全員が遊んで暮らせる家なのに、
なんでおまえたち二人は額に汗して働くのか?
お前たちが使っている店を誰かに貸せば
毎月数十万のお金が黙っていても入ってくるから、
今すぐ店をやめて賃貸に出す。
そうしたらその半分はお前たちにやるから、
好きなことをして暮らせばいい」
この言葉を聞いた時に、私は耳を疑いました。
私にとって働くことは人生の楽しみであり、喜びでもあります。
確かに飲食店の経営は労働時間が長い割には収入が少なく、
決して大きく儲かるビジネスではありませんでしたが、
それでもお客様がうどんを食べた瞬間におもわず、
「美味しい!」とつぶやいてくれたときには、
至極の喜びを味わうことができました。
そのお客様の「美味しい!」の一言が聞きたくて、
毎日懸命に働いていた私たちの生き方を根本から否定され、
「働くなんて、ばからしい」
こんな価値観が世の中に存在していたのかと知り、
これまで自分が培ってきた価値観とのギャップに、
ただただ茫然とするばかり。
お父様が亡くなってからわかったことなのですが、
ダンナ様のお兄様は金融関係のお仕事をしていたはずが、
いつの間にか会社をお辞めになっていて、
お父様の不動産の管理を称して会社をつくり、
そこからお給料をもらって暮らしていたらしいのです。
その上、私たち夫婦は自分たちで家賃を払って家を借りていましたが、
お兄様はお父さんのお金で世田谷に豪華な一軒家を購入し、
まったく働かずに悠々自適の生活をされていたよう。
そのことを私が指摘したときのお兄様の言い分は…
「家は住居なので人間にとって必要な物。
でもお前たちが使っている店は家族の資産。
人様に貸してお金を生み出すところなのに、
お前たちが使っているから現金がないだ!!
店を続けたかったら家賃をきちんと払え」というのです。
自分は億もする家屋敷をお父様のお金で購入しているのに、
住居目的でお金を使うのは必要だからOKで、
他の不動産は事業用だから使うなら賃料を払うのが当然、
という理論が私にはまったく理解できません。
その上、30代の働き盛りの男が親に財産をあてにして、
働かずにいるという考え方や生き方も到底理解できず、
とにかくそんな風に考えるお兄様をひたすら毛嫌いしていました。
お兄様は私たちの生き方をすべて否定し、
私はお兄様の考え方を受け入れることは到底できないと拒否。
人間関係というのは鏡のようなものだとよく言いますが、
そんな私たちの関係が良好になるわけもなく、
話せば話すほどに険悪な関係に…
「思ったことは口にして、きちんと自分の意志を相手に伝える」
これが私の当時の生き方だったのですが、
それが災いして家族の関係がどんどん悪くなっていきました。
今になって冷静に考えてみれば、その家には家なりの事情があり、
「働くことが正しい」という私の価値観が世のすべてではない、
ということがよくわかっていますので、
お兄様なりの理論を人間の生き方として納得はしないけれど、
理解することは可能だったと思うのですが、
当時の私はまだ20代の若さでとても尖がっていましたので、
まだまだ働けれる年齢なのにろくに仕事もしないで、
親のお金を当てにしているお兄様の生き様には、
嫌悪感しか抱けなかったのです。
価値観の相違
これはいつの時代も人間関係を悪くする一番の理由ですね。
価値観の違いを理解するためには大きな視野と寛容な心が必要ですが、
当時の私は残念ながらその両方とも持ち合わせていなかったので、
事態をどんどん悪い方へ自ら進めていったような気がします。
自分の周りに起こることはすべて自分が引き起こしたこと
まさにこの言葉通りに、自分の狭い了見や小さい価値観のため、
このあと起こる不幸な結果を招いてしまったのかと思うと、
自分の人生ながら残念でなりません。
そんな絵に描いたような遺産相続の嵐の中でも唯一の救いは、
ダンナ様が一緒にお兄様に立ち向かい戦ってくれたこと!!
「二人で力を合わせればきっとこの困難も乗り越えていける」
そう思うことができたので、お兄様の店をたためという矢の催促も、
どこ吹く風と素知らぬ顔でかわし続けて、
以前と変わらずうどん屋さんとダイニングバーで働き、
自分たちらしく生きることを選択した私たち。
さて、そんな働くことに生きがいを感じていた私たちに、
運命の神様は味方してくれたのでしょうか?
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